「ゆとりある老後」が叶えられる人種
老後資金についての記事、「いくら貯めればよいか」という計算になるとまあ一定の確率で出てくる言葉が「ゆとりある老後」。
老後の月々の生活費は現役時代の7割、というのをちょくちょく見る。
食事の量も減るし、あちこち遊びまわることもへるだろうしということだろうか。
単純に食べる量が減るだけならそうだろうが、健康上の理由で食材や料理に制限が入ったり、健康上の不安からコスパが割高になることもあるだろう。
遊びまわる体力は確かに減る。しかし自由な時間は現役時代より比較にならないくらい増えるのでそういった費用が減るかといえば疑問だ。
そして私の場合。元々食べる量は少なめ。屋外嫌い、体力なし、運転下手のひきこもりなので現在もそういったレジャーや交友費はほぼない。
この費用が老後になってさらに減ることはない。元々ないものは減りようがない。
そしてこの歳になって積み木が崩れるようにガタガタと体のあちこちが不調になってきた。20年後の老後の医療費など考えるだけで恐ろしい。医療費破産しても不思議はない。
そもそも「ゆとりある老後」の為に資産を蓄えられるのは「現在ゆとりある生活をしている人種」であり、このご時世のそんな人種など全体の何%か。現在カツカツの生活をしている人間が、さらに収入の減る老後にゆとりなどもてるはずがない。
そう考えると「ゆとりある老後」を狙える人間自体が選ばれし勝ち組であり、それを実践できる人間はさらにその一部ということだ。
つまり私には縁のない言葉だということになる。
私は「ゆとりある老後」のためではなく「健康で文化的な最低限度の生活を自費で送れる老後」の為に努力する。定年で仕事をやめられるように。